病気のデパート

かっこよかったシンイチは、結婚1ヶ月前になって離婚歴のことを初めて話し、ギクシャクしながらも結局別れる勇気がなくて私たちは結婚に踏み切った。

 

その後、3人の子供を抱えて離婚、そして復縁、そして私が病気のデパートとなっていく。

 

シンイチはドンドン太り、今や小太りおじさんの「ジンイヂ」だ。

 

私が患っている病気は、自己免疫性疾患。

原因はわからないが自分の免疫が暴走し、自分の肉体を敵とみなして攻撃する。

 

私が日々症状に悩まされているのは関節が攻撃される、関節リウマチだ。とにかく痛い。

 

他にも、肝臓。腎臓。甲状腺。粘膜。

あらゆるところに私の免疫は悪さをする。

症状には波があるので、割と元気な時は病気の事など誰にもわからない。

 

治療しているので、特に問題にならない甲状腺。肝臓や腎臓は症状が出たら厄介なので、出ないように体に負担をかけないように気をつける。症状が出ると入院治療になる。

 

粘膜の症状は人知れず痛みに耐える。

 

関節リウマチは関節の変形はないので、普段痛くても、指がこわばって動きがトロくても、だいたい気づかれない。

 

うまく歩けなくて杖を付いている時は急に周りの人たちが大騒ぎで心配してくれる。

 

杖をつく日以外の辛さ、悪化しないよう大事をとる意味、そんなことを人に理解してもらうことは無理だ。

 

私だって、違う病気の人が私みたいに元気そうに仕事をしていたら、その影に何を抱えているかなんて気づかないだろう。

 

病気以外にも、いろんな大変さを抱えて、人前で笑って過ごしている人はたくさんいるんだ。

 

みんな、頑張っているんだ。

今日少しくらい痛くても、無理解からくる手厳しい言葉に凹んでも、作り笑いをして家の外に出て行けることは、幸せなことなんだ、と今はそんな心境で日々を過ごしている。

 

時々、誰もわかってくれない!!って、どん底の気持ちになるけれど、きっと、自分もわかってあげられていない側にいることがあるんだ、と思い直せたとき、再び立ち上がる。

 

そんな弱い私。

今日も痛い。

 

結婚式まであと1ヶ月

モテモテ音楽教師と、音楽を中途半端に極めている生徒の出会いから、結婚にたどり着くまでにはそれなりのストーリーがある。

 

それはそれで、話せば長くなる色んな出来ごとがあったが、それはまたいつか。

 

13歳で出会い、12年後、25歳になった私は、結婚式の準備に追われていた。

 

1ヶ月後の式のための打ち合わせは、最終段階を迎えていて、あとは新居への引っ越しのため住み慣れた自分の部屋の片付けをするのが一番の大仕事。

 

今の時代なら、先に入籍したり一緒に住んだりして、結婚式は半年後なんてこともたくさんあるようだが、当時はまだ全部同時期にしているカップルが多かった。

 

新婚旅行は後で、という人たちは居たが、うちの親が古臭い人たちで、そんなもの半年後に行ってどうする⁈式の後に行って来なさい、とうるさいので、それも同時に準備しなければならず、異常に忙しかった。

 

シンイチはまだこの頃はかろうじてイケメンっぽさを保っていた。婚礼衣装の試着の時などは、ホレボレしたものだ。

 

シンイチは、実は見た目より歳をとっていた(笑)

 

ハオ(ワタシ)  13歳

シンイチ             33歳

 

24、5歳に見えていたあの輝いていた音楽教師は実は33歳だったのだ!

付き合い始めた時に年齢を聞いて、本当にびっくりした。

 

あれから12年。

ハオ(ワタシ)  25歳

シンイチ             45歳  オッさんです。

 

しかし、相変わらず若く見えるシンイチ、20歳も離れているようには見られなかった。

今写真を見ても、当時のシンイチは30代半ばくらいに見えたかもしれない。

 

デートをして、帰りにシンイチの家に寄る。

婚約してからは、デート帰りによくシンイチのワンルームマンションに寄った。

 

散らかっている時もあったが、妻気取りで片付けてあげるのもまた楽しかった。

 

そこで夫婦のごとく時間を過ごし、門限までに家に帰るとき、とても切ない。

 

シンイチの腕の中から起き出したくない。

結婚すれば、このまま朝まで寝られるんだね♡

あと1ヶ月すらもどかしいね。

「でも、ほら、帰りなさい」

優しく促すシンイチの笑顔を見ると、初めて出会った日のトキメキで胸が締め付けられる。

 

そんな時、シンイチの携帯電話が鳴る。

 

「もしもし?あー、久しぶり。どうかした?

え?!こんな時間にまだ??わかった、すぐ行く」私を邪魔にしながら急いで身なりを整えるシンイチ。

 

「どうしたの?何があったの?」

「今度話す、早く帰って。」

「う、うん、わかったけど、大丈夫?」

「お前に関係ない、早く帰ってくれよ!!!」

 

何が何だかわからないし、心配だし…

とてつもない寂しさと不安のまま私は帰宅した。その夜、シンイチから連絡はなかった。

 

後日、わかったことは、実はシンイチには離婚した元妻がいて、12歳の娘がいて、あの日の電話は元妻からで、夜10時になっても帰らない娘を心配してパニックになっての電話だった。

 

シンイチが駆けつけた頃に自宅に帰ってきた娘。何故そんなに遅くなったのか話を聞くうち、夜中になったので元妻の家に泊まってきた。

 

それがシンイチの説明。

 

元妻?娘??

初めて聞く話。12歳ってことは、私たちが出会った頃に生まれたと??あの時は奥さんがいたと??

 

待って、チョット待って。

えーっと〜

 

12年前は私たちはただの先生と生徒。

その頃33歳のシンイチに妻子がいた、うん、別に悪いことはしてないね。

 

で?私とシンイチが正式に付き合い始めたのは私が高校を卒業したとき。つまり7-8年前。

その時は??ねえ、その時は?

 

「離婚、調停中。」

 

この8年近く見てきた光景に、私の知らない裏側があったなんて、頭が、お寺の鐘のように、打たれてゴーーーーン。頭の中が、グオングオンと鳴って空っぽになる。

 

いろんな点で

意味がわからない。

 

 

 

 

 

 

 

初恋

シンイチ先生が音楽室に飛び込んできた。

白いシャツを腕まくりして、小脇に楽譜を抱えて「ごめん、待たせたね」そして微笑む。

 

キャーッ!

集まっていた友だちがいちいち甲高い黄色い声をあげる。

 

あまりにうるさいので、ついに彼女たちは音楽室の外へ追い出された。

 

ピアノの前に座る小さな私に後ろから覆いかぶさるようにしてシンイチ先生は楽譜を楽譜たてに置く。

 

ちょっとスーッとする大人のいい匂い。クラクラして、心臓がキューっと締め付けられる。体の奥から熱い熱い血が吹き出しそう。

 

ハオちゃん13歳、初めて恋に落ちた瞬間。

 

 

舞い上がりながら伴奏の練習、変なとちり方をしたとき。

シンイチ先生はクシャッとした笑顔になって、まあ、いいよ。少しずつだな。と声をかけてくれる。

細くて関節がゴツゴツした長い指で、私のとちった旋律を右手だけでポロポロンと弾く。そして、ホラこんな風に、という目で私を見る。

 

緊張で倒れるんじゃないかと思いながら私はピアノを弾く。。

 

きっと息を吸ったら、シンイチ先生が吐いたいい香りの息を吸い込んで失神してしまうかもしれない…と思ったんだか、なんだか、ほぼ息をしていなかった。酸欠になりながら小さく震えながら、弾き慣れた校歌をトチリながら弾いた。

 

この眩しすぎるシンイチが、将来ダメ夫になるなんて、中学生のハオちゃんにわかるはずもなく。

 

音楽室のガラス窓にへばりついてこちらを見ているハマちゃんたちも、まさかこの2人が後に結婚するなんて考えもしなかったという。

 

しつこいようだが、この眩しすぎるシンイチ先生が、ぽっちゃり体型のダメ夫『ジンイヂ』になっちゃうなんて、、、わかるはずないよーーーーーッ!!

特別な生徒

みんなの憧れシンイチ先生と私の距離を縮めたもの、それは音楽。

 

私は、親の影響を受けて幼少期から音楽に触れて育った。

 

当たり前のようにピアノを学び、弦楽器を学び、自分には特別な才能はないと早くから知っていたが、学校の音楽以外にはクラシック音楽に触れる機会のない友人達からは、「ハオちゃんは凄い、スゴイ」と褒められた。

 

小学生の私は音楽の世界での劣等感と学校での賞賛との間で、むず痒い思いをしていた気がする。

 

中学校から私立の女子校に通い始めると、音大付属でもないのに、音楽に触れて来た女の子達がたくさんいた。

 

小学生の頃よりも、認識を共有できる友達がたくさんいて、わたしには居心地の良い毎日だった。

 

それでも、わたしがやってきたレベルでピアノを弾く子は学内に2〜3人しか居なかった。

 

学校行事での伴奏、特に大きな行事はその数人で分担していた。

 

大事なコンクールが近い時期に学校の伴奏を、と言われると断る人もいたが、うちは親達が私に対して期待がなかったから、コンクールで何とか上位に、などという意気込みもなく、伴奏も良い経験になる、先生が声をかけて下さるならやりなさい、と言われた。

 

それが、シンイチ先生との縁になるなんて、親も考えてもみなかっただろう。

 

それが腐れ縁の始まりだったなんて。

 

私のクラスの音楽の先生はシンイチ先生にはならなかった。

 

伴奏の練習でお呼びがかかったのは、クリスマス集会の中学部の合唱の時が初めてだった。

 

私が放課後にシンイチ先生と音楽室に2人きり。そんなの許さないわよ、と仲間達がついてくる。キャピキャピの女子中学生が集まって賑やかな音楽室になる。

 

約束の時間になってもシンイチ先生は来ない。友達のハマちゃんが職員室を覗きに行く。

「職員会議。長引いてるみたい。もうすぐだね、ハオ〜〜!どーしよー、キャア〜」ハマちゃんたちが盛り上がる。

 

私もドキドキしてた。でも、出来るだけ興味のないふりをして、無表情にピアノを弾いて待つ。

 

自分が、あの先生を独り占めする事ができる、特別な生徒なんだって、意識してしまったから、それを表に出したらとんでもないことになりそうで、私は、みんながキャーキャー騒いでも、私は素知らぬ顔をすると決めたのだ。

 

 

出会い

なんで、そんな男と結婚したの??

結婚前にわからなかったの??

 

と、みんな言う。

 

自分でも、なぜわからなかったんだろう?と振り返ることを何度もした。

 

簡単に言うと、「私が子供だった」から。

 

文字通り、夫と出会った時、私は子供だった。

 

田舎の、中高一貫の私立女子校に通っていた私。

中2、13歳の夏休み明け。

産休に入った音楽の先生の代わりに来た若くてカッコイイ男の先生♡それが、いまの私の夫。

 

講堂の舞台上で照明を浴びて、背が高くて細身、ちょっと長い前髪の下の切れ長の目。色白の細長い顔。

 

バーコード頭のおじいちゃん先生、でっぷりとしたおばちゃん先生、口うるさい七三分けのおじさん先生の中に、ひとりだけ、生活感のない芸術家が、輝いていた。

 

まるで、あの、のだめカンタービレの千秋センパイの様に、白い長袖シャツにスリムな黒いパンツが!!素敵に見えた。少なくとも中高生の私たちには!!!ときめいて、眩しくて、何も見えてなんかいなかった。。。

 

千秋センパイにちなんでウチの夫をシンイチ(仮名)にしておこう。

 

シンイチ先生は、その日のうちに、女子中高生の憧れの君となり、音楽の授業がシンイチ先生の担当になるかならないか、そればかりが話題になった。

 

ちなみに、シンイチの顔は玉木宏さんには似ても似つかない。全然。

でも、その頃は、なぜかカッコよく見えていた。私だけでなく、みんな。(笑)

今日の私

20年前の思い出話を続けてしまったが、今のワタシ。

あの時、絶対に許せないと思って離婚した夫と復縁して、無事に家庭生活を送っている。

 

子供達はすっかり大きくなり、親が仲が良かろうが悪かろうが大して気にならない年齢になったから、別に無理に一緒に暮らさなくたっていいのだが、結局1つ屋根の下だ。

 

夫は実は相変わらずである。

私が熱のある時には決まって機嫌よく外食するから気にするな、と言う。変わったのかもしれない。昔なら、オレの飯は⁈と怒っていたのに比べたら何倍も大人になった。

 

しかし、高熱で寝ているワタシの飯は⁈

 

…とキレたいけれど、そんな元気もないからただ、白湯を飲んで寝ている。子供達にLINEしてどうしても欲しいものは買ってきてと頼む。上の娘は出来るだけ早く帰宅してくれる。

 

子供は普通の思いやりをもてる人間に育ったことにホッとする。

 

今日は、天候のせいか持病がでて、とても体が辛い。まず手が握れない。肩が痛いので包丁で野菜を切ることは冷や汗をかきながらの決死の作業。体がダルいし熱っぽいし、こんな時は気持ちも落ち込む。

 

痛い痛いと言いながらお米を研ぐ私を見て夫が優しく言葉をかけてくれた。「大丈夫か?」「大丈夫じゃないけど、ご飯は炊かなきゃね」「そうか、頑張れよ!」

俺がやろうか?なんて言葉は、あるはずもなく。期待もしてないけど。

 

でも、弱音を吐きたくなってポロッと言った。「私、今のパートやめて、専業主婦になった方がいいかな、と悩んでいるの。」

 

夫は不機嫌に言った。

「お前が仕事をやめたら、うちの中はどう変わるの?目に見えていい料理が出て掃除が行き届くと言うのならパートをやめてもかまわないけど。そんなに完璧な家事出来んの?」

 

持病がありながら仕事と家事の両立は大変だ。仕事という荷物を降ろして、今までより少しのんびり過ごしたい、という希望を漏らした私が甘かった。

 

今仕事に向けているエネルギーの全部を家事にプラスするんだろうね?と言いたいようだ。

 

疲れる。

体が、心が、疲れて頑張れない気持ちになる。

 

昔と違うのは、その先、夫に何も期待はしていない点だ。

自分がその中でベターと思う選択をするだけ。優しい言葉をかけてもらおうなんて、期待するから傷ついちゃうだけで、期待をしないということは余計な傷を負うこともないし、全ての選択は自分の気持ちだけを頼りに自分の責任できめるだけだ。

 

専業主婦になる。

 

それはそれでキツイ。

 

家事と言う名の仕事は範囲が膨大だ。

それを全部責任持つんだろうな⁈という問いにハイと答えようものなら、今より地獄だ。

 

パートという盾をなくさない方がマシかもしれないなあ。

 

 

消えた夫

母の葬儀。

少ないながら親戚や母の友人が参列してくれた。

 

上の子たちにとっては、ママがお産で入院して、ジィジバァバと過ごしていたら、バァバが死んで、チイバァバの家から葬儀場に連れてこられて、そこでママと産まれたばかりの妹と会った。

 

あまりにもめまぐるしい展開、騒然とした雰囲気を感じ取り、2歳10ヶ月の長女、1歳5ヶ月長男は2人してグズグズ…。

 

祖父母の葬儀に、孫の声が響くのは悪いことではない、ある意味供養になると思うが、それにしても酷いグズグズでなだめても叱っても何をしてもグデングデンになってしまう2人。

 

夫に「ちょっと2人を連れて外の空気を吸って来てくれないかしら」上2人を夫に託した。

 

親族のお焼香が始まる。

そろそろ戻って欲しいな、夫婦で交替で子供を見ればいい、と思った。

 

あ…でも。私は夫にお焼香になる頃戻ってとは言わなかった。「チョット」という曖昧な伝え方では、彼には伝わっていないだろう。

 

私は会場を抜けて、外に出ているはずの父子三人を探した。どこにも居ない。携帯を鳴らしても電源をきっている。

 

ついに、父子3人は火葬場に行かなかった。

 

集まった人たちは、何かあったのではないかとすごく心配してくれた。

 

喪服姿の夫は子供たちと、動物園で遊んでいたらしい。

 

たしかに外の空気を吸って来て、と言ったけど。と、呆れてため息をつく私の態度が許せないと言って、夫は私の髪の毛を掴んで頭を下げて壁に叩きつけた。

 

初めて、自分の家で家族5人が揃ったその夜、私は子供3人を連れて家を出た。